レイヤーという演劇「群盗=滅罪」

クリム=カルム「群盗=滅罪」シアター711公演稽古が順調に進んでおります。

通常、舞台の稽古というと俳優がセリフや段取りを覚え、どう演技するかを試したり練習したりすることを指します。
準備のいい俳優は稽古初日にはセリフをすべて覚えていて、役柄を正確に把握していて、何種類も演じ方を用意してくれたりします。
そんな用意周到な俳優が揃うと、どう演じるを超え、どんな作品を創るかに話が発展していきます。
今回はそんなお話をしていきたいと思います。

演技をする、それには様々な演技論・テクニックがありますがゴールはだいたい同じだと思います。舞台上にいるその瞬間、まるで本当に起こった出来事かのように振る舞うこと。感情的にも身体的にもより本物らしく、リアルに。それを目指し稽古を重ねます。
しかし、しかしですよ。
そんなことを悠々とやってのけちゃう人たちがいるんですよ、俳優って人たちが。
なんかもうよく分からないんだけど、なんか凄いんですよ彼らは。
そんな人たちが揃うと、どうやって演技をするかなんて話はしないんですよね。どんな作品にしてやろうかなんて悪巧みをし出すんです。
シラーは神学を学んでいた、これは神話を元にしている、これは本当は死後の世界についての話かもしれない、兄弟を合わせ鏡に見せれば人間性が描ける、恋人を肉親とすれば原罪が見える……etc.
ちゃんと物語をやりなよって言われちゃうかもしれないんですけど、私は好きですそういうの。そして対話を重ねるほどどんどん想像が広がって稽古場を満たしていきます。
稽古場での演出家なんて、その話をまとめる係に過ぎないと私は思っています。

さて。いよいよ話をまとめようと思った時、ひとつの問題が浮き上がります。
それはクリム=カルムは劇団ではないということです。所属俳優が揃っていて、寸分狂わない演技の仕方をするわけではありません。
これは一枚の絵を描く時には致命的なことです。なぜなら美しさとは統一感だからです。
そこで今回、私が演出担当として提案したのはレイヤーという考え方です。
オーソドックスな演劇作品とは、一枚のキャンバスに俳優という絵の具がそれぞれのカラーを塗りたくり一枚の絵を仕上げるようなものです。色味は自由ですが、使う絵の具が水彩だったり油彩だったりすると統一感がなくなり美しさが損なわれます。
とはいえ、そもそも舞台芸術は一枚のキャンバスに収める必要はないのです。昨今ではパッチワークという方法があるように切り貼りしても大丈夫。演劇は元来とっても自由なんです。

レイヤーというのはテザイン系ソフトウェアによく出てくる考え方で、独立した絵(シート)を何枚も重ねて一枚の絵を仕上げるというものです。
登場人物ごとにレイヤーがあり独自の演技(描き方)をしてもらいます。そのままレイヤーを重ねるとぐちゃぐちゃになってしまうので、余計な背景をマスク(隠す)して人物だけが見えるように残します。
そうして一枚の作品を完成させると、パッと見はシラー「群盗」に見えますが、よーく見ると微妙な違和感を感じます。同じカップに静かに入れたコーヒーとミルクのように、溶け合うでも分離するでもない状態。冷製ラテアートのような美しさが見えてきます。
混ぜて楽しむことも、よく観察してその技巧を楽しむことも出来ます。
また、どんなに熱く愛を語り合う恋人同士でも<演技体>が違う故に完全には繋がらない、分かり合えないもどかしさを表現することも出来るんじゃないかなって思っています。お芝居やセリフの内容ではない表現の形。
そんな風に今回は創作を展開しています。

もちろん、ストレートに真っ当に真摯に「群盗」をやることは一つの美しさです。
私たちはちょっとひねくれたことをしているのかもしれません。いや、きっとそうなんだと思います。こねくり回しているわけではないのですが、「群盗」をより豊かに描こうというのはひとつの罪なのです。誰を傷つけるわけではないですが、穏やかに罪を犯す、そんな心境でいます。
そんな悪いやつらな私たちが演劇の街・下北沢で悪党と自由を描いた「群盗」をやる、とってもおもしろい試みじゃないかなって思って頂けると嬉しいです。

どなた様もお待ちしてます。
熱い夏、演劇の挑戦を下北沢でやります。
ご期待ください。

クリム=カルム sola

クリム=カルム - théâtrale du crime=calme -

「かわいい」×「古典」をコンセプトに新宿発の舞台芸術作品を創るクリエイションチーム、クリム=カルムの公式ホームページです。